2023年春スタートのNHK連続テレビ小説『らんまん』についての情報が、ついに発表されました!
人気俳優の神木隆之介さんが主演ということで、注目されていますね。
そんな朝ドラ『らんまん』について、「実話なのか?」「主人公のモデルはいるのか?」というところが気になるところです。
そこでこの記事では
- 『らんまん』はどこまでが実話?
- 『らんまん』の主役・神木隆之介のモデルの牧野富太郎とはどんな人?
- 牧野富太郎の生涯
についてまとめました。
らんまん(朝ドラ)はどこまで実話?
NHKの朝ドラ『らんまん』は、主人公のモデルとなった人物が実在していますが、フィクションとして内容や登場人物を再構成したドラマのようです。
NHKの『らんまん』公式ホームページによると、ドラマについて以下のように説明されていました。
実在の人物である牧野富太郎(1862―1957)をモデルとしますが、激動の時代の渦中で、ただひたすらに愛する草花と向き合い続けた、ある植物学者の波乱万丈の物語として大胆に再構成します。
登場人物名や団体名などは一部改称して、フィクションとして描きます。原作はありません。
引用元:NHKオンライン
モデル・牧野富太郎(まきのとみたろう)の生涯と、現時点で公開されている『らんまん』のあらすじを照らし合わせてみると、おおまかなストーリーは実話を元に作られていることが分かりました。
らんまん(朝ドラ)神木隆之介(牧野万太郎役)のモデルは牧野富太郎
“日本の植物分類学の父”と呼ばれた牧野富太郎さんの生涯を知っておくことで、朝ドラ『らんまん』が何倍も楽しめるようになることは間違いありません!
というわけで、続いては牧野富太郎さんについて、詳しいプロフィールや業績、人柄をまとめました。
【プロフィール】
名前:牧野富太郎(まきのとみたろう)
生年月日:1862年(文久2年)4月24日
死没:1957年1月18日(94歳)
出身地:高知県高岡郡佐川町
今から160年前の1862年に生まれ、94歳まで植物について研究を続けた彼。
今の時代でも94歳は長生きだと感じますが、昭和30年頃の平均寿命は65歳くらいなのでこれはかなり凄いことですね!
愛する植物と触れ合い続けたおかげで長生きすることができたのでは、と思いました!
富太郎は、ただひとつ特別な才能に恵まれていました。それは「ひたすら植物を愛すること」
引用元:NHKオンライン
牧野富太郎さんは“日本の植物学の父”と呼ばれ、多数の新種植物を発見し命名も行った近代植物分類学の権威です。
彼の研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして多くの著作として残っています。
94歳で亡くなる直前まで、日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製した。個人的に所蔵していた分だけでも40万枚に及び、命名植物は1,500種類を数える。野生植物だけでなく、野菜や花卉なども含まれ、身近にある植物すべてが研究対象となっていたことが、日本植物学の父と言われる所以である。
引用元:Wikipedia
多くの植物の命名を行っている牧野富太郎は、「雑草という名の植物は無い」という名言を残しています。
牧野富太郎が命名した植物
- ムジナモ
- センダイヤザクラ
- トサトラフタケ
- ヨコグラツクバネ
- コオロギラン
- イヌノフグリ など
牧野富太郎が刊行した書籍や雑誌
- 『牧野富太郎植物記』 全8巻
- 『牧野新日本植物図鑑』
- 『原色牧野日本植物図鑑』 全3巻
- 『牧野富太郎自叙伝』
- 『牧野富太郎選集』 全5巻
- 『牧野富太郎植物のはなし』 など
自叙伝も出しているのですね。
朝ドラ『らんまん』と合わせて読んでみたら、面白そうです!
実は音楽家という一面も
亡くなる94歳まで、植物に熱中し続けたイメージの牧野富太郎ですが、実は音楽が趣味で、自ら指揮をし演奏会などを開いていたそうです。
地元では植物学だけでなく、ふるさとの音楽普及にも力を入れていたのだとか。
根っからの学者肌でしかも芸術家とは、まさに天才といったイメージですね!
また、彼は植物だけではなく鉱物にも興味を持っていたそうです。
このような牧野富太郎の植物学者以外の一面も、ドラマ『らんまん』ではストーリーに組み込まれるかもしれませんね!
らんまん(朝ドラ)牧野富太郎の生涯
続いて、『らんまん』のモデルの牧野富太郎の生涯を、年表でまとめました。
【牧野富太郎の生涯(年表)】
- 1862年4月24日 現在の高知県高岡郡佐川町で酒造と雑貨屋業を営む裕福な家に生まれる
- 1865年 3歳 父が亡くなる
- 1867年 5歳 母が亡くなる
- 1868年 6歳 祖父が亡くなる。祖母に育てられる
- 1872年 10歳 寺子屋(庶民の子どもに読み書きのなどを教えた場所)に通い始める
- 1873年 11歳 塾で漢学、名教館(家臣の子どもが教育を学ぶための塾)で西洋の諸学科、英語学校で英語を学ぶ
- 1874年 12歳 佐川小学校に入学
- 1876年 14歳 小学校を自主退学。植物採集に明け暮れ、知識を身に付ける
- 1877年 15歳 佐川小学校の臨時教員となる
- 1879年 17歳 臨時教員を辞め高知市へ。五松学舎に入塾
- 1884年 22歳 上京する。東京大学理学部植物学教室を訪ね、教室への出入りが許される。ここからさらに植物の世界へハマっていく
- 1888年 26歳 研究と並行して印刷技術も学び、手作りの自費出版『日本植物志図篇』刊行をスタート。その精密さは各方面から称賛された。東京で出会った小澤寿衛子(すえこ)と結婚。植物学界での名声がさらに高まった頃、周りから妬まれ認めくれていたはずの教授から大学への出入りを禁止される。独自で研究を続ける。
- 1893年 31歳 教授が変わったことにより東京大学に呼び戻され助手となる。しかし、給料は安く、しかも惜しげもなく研究にお金を使ったため借金まみれになる。彼を認める周囲の人たちの助けにより、借金を清算されたこともあったが、またお金を研究に使って借金が増えるのを繰り返した
- 1912年 50歳 東京大学の理科大学講師となる
- 1927年 65歳 大学から理学博士の学位を受ける。本人は名声に興味がなく博士なんてどうでもいいと考えていたが、周囲の勧めにより仕方なく受けたという逸話も残っている。
- 1928年 66歳 妻の壽衛子が亡くなる。前年見つけた新種のササに妻の名前から「スエコザサ」と命名する。
- 1940年 78歳 彼の情熱が注ぎ込まれた『牧野日本植物図鑑』を刊行。この図鑑は、現代も植物学を学ぶ人たちのバイブルとなっている
- 1957年 94歳9か月 永眠。没後、文化勲章を授与される
裕福な家に生まれたものの、物心がつく6歳頃までに、父・母・祖父を失くしているんですね…。
小学校の勉強が物足りず、自主退学して趣味の植物採集に没頭した結果、2年後に自身が退学した小学校の教員になっていたことや、借金まみれでも研究にお金を注ぎ込んでしまうというのには驚きました!
波乱万丈な牧野富太郎の生涯がモデルになった、朝ドラ『らんまん』が面白くなることは間違いないのではないでしょうか!
朝ドラ『らんまん』を通して、伝えたい想い
牧野富太郎をモデルとした『らんまん』という物語を通して、伝えたいこと。
それは変化が激しいこの世の中での、“人と自然環境との向き合い方”や“互いの価値観を尊重する”ことについてだそうです。
今、世界共通の目標としてSDGsが提唱されています。持続可能な地球を守り続けるために人間と自然環境がどう向き合っていくかが問われる現代の世相は、牧野富太郎の生きざまやその思想にぴたりと符合します。
引用元:NHKオンライン
また、ドラマ『らんまん』の作者である長田育恵さんは、以下のようにコメントしています。
題材を問われ、真っ先に浮かんだのが牧野富太郎の大きな笑顔でした。世界規模での感染症流行の渦中、この先に広がる世界を思い描いたとき、もう少し風通しがよく、もう少し優しい、ひとりひとりの多様性が尊重される価値観が求められていくのではないかと想像したからです。
(中略)
時代のうねりの中、彼の生き方は簡単に理解を得られるものではありませんでした。そんな彼を支え、磨き抜いていったのが、鮮やかな出逢(であ)いの数々です。
引用元:NHKオンライン
植物を愛し、周囲の人に認められ、支えられた牧野富太郎。
そんな彼をモデルにした『らんまん』という作品は、変化や困難が多い現代で、自然を想い、身近な相手を尊重しながら生きることを考えるきっかけになるかもしれません。
まとめ
- 『らんまん』は植物学者・牧野富太郎をモデルにしており、大まかなあらすじは実話がベースになっているが、あくまでフィクションとして再構成されたドラマ
- 『らんまん』の主役・神木隆之介さんのモデルの牧野富太郎は“日本の植物学の父”と呼ばれ、多数の新種植物を発見、命名も行った近代植物分類学の権威
- 牧野富太郎の生涯は波乱万丈だったが、純粋に植物への探求心を追い続け、周りの人々に支えられながら、94歳で亡くなるまで植物学者として活躍し続けた
牧野富太郎の人生は、その年表を見ただけでも実話と思えないくらい、ドラマチックで波乱万丈でしたね。
そんな彼をモデルにした『らんまん』が、面白い作品になることは間違いありません!
今から放送がとても楽しみです♪
記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!
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